
転職の経緯について教えてください。
今振り返っても、思い悩んだ末の決断というわけではなく、割と衝動的に決めた気がします。
メガバンクでの仕事はやりがいがありました。特に最後に所属した本部企画関連の部署は、経営の中心にいる実感や達成感もありましたが、内向きの仕事が多かったです。「経済を支える黒子として働きたいと思ってメガバンクを選んだはずなのに、今の自分は何のために仕事をしているのだろう。今の自分は、社会にインパクトを与えられているだろうか」日々の仕事の中で、そんな問いが沸々と湧いてきたんです。
そんなときに目にしたのが、宮崎銀行のホームページでした。”地銀戦国時代”、”地銀大再編”などの言葉がよくメディアに取り上げられている時期で、このような激動の環境に身を置くことで、社会により大きな影響を与えられるのではと考えエントリーしました。

現在の業務について教えてください。
現在は営業戦略の立案など、宮崎銀行の経営の舵取りにつながる業務に携わっています。中期経営計画も既に二度、作成しました。メガバンクで企画部門にいたときは担当が細分化されていたので、“銀行はこうあるべきだ”という視点は持ちづらかったです。しかし今は、宮崎県という地域において宮崎銀行はどうコミットしていくかという視点で取り組むことができます。それは非常に大きなやりがいです。中期経営企画も経営のボードメンバーとディスカッションを重ねながら作成しました。シンガポールで銀行経営のすべてに携わっていたときの経験がここで活かされています。
宮崎銀行の最大のお客さまは宮崎の地域社会です。我々は行政と違って直接住民の方にアプローチできるわけではないので、取引先を通じて経済的な活力を生み出し、それによって地域社会を盛り上げていきたいと考えています。宮崎県内における当行のシェアと影響力は圧倒的です。だから宮崎銀行が本気になれば、宮崎県を変えていける。それはメガバンクにはできないことです。そうした強みは内側からだと見えづらく、宮崎銀行自身が気づいていないこともあります。ポテンシャルを引き出していくことが私の使命と考えています。挑戦すべきことは多いです。

地元宮崎での生活について教えてください。
収入は下がりました。ただ、東京に比べれば宮崎の物価はかなり安いし、下がったといっても特に不自由は感じていないです。妻も私の選択を後押ししてくれています。メガバンク時代、妻は地元九州で生活しており、私は東京に単身赴任をしている状況でした。長く九州に暮らしていたため、東京での生活には不安を抱いていたそうで、宮崎に暮らせるということで喜んでくれました。
今、私はほとんど残業をしていません。毎日のように家族と夕げの食卓を囲み、子どもと一緒に風呂に入ります。家事も手伝います。深夜までの残業に追われていたメガバンク時代には、想像もできなかったことです。この生活を手に入れられたことが、一番よかったと思っています。3人の子どもと一緒に過ごせる時間は、まさに宝物。もちろん宮崎に骨を埋めるつもりです。思ってもみなかった人生の選択が、思っていた以上の幸せをもたらしてくれました。

転職を検討している方へメッセージをお願いします。
地方銀行への転職をする人数が少ないが故に、ためらう人財がいるかもしれません。だからこそ、大きな可能性を秘めた地方銀行も選択肢の一つとして強くおすすめします。私は誇りを持って毎日を過ごしています。そんな私の姿を見ていただければ、きっと良さが伝わると思います。
今やメガバンクもキャリア採用が年間入行数の半数を占める時代となりました。新卒を一括で大量採用し、数年ごとの異動を繰り返して競わせ、育成していく、“銀行すごろく”はもうありません。だからこそ求められるのが、主体的にキャリアを拓いていく姿勢だと思います。一歩踏み出す勇気を持ってほしいと思います。